Satoブログ
正しいことを・・・
するのは当然のはずですが、世の中にはそうでないことがたくさんあります。終わることの無い食品会社の偽装事件や、中立公正が当たり前に求められる公務員しかも高官の怪しげなふるまいなど、最近の新聞記事では洪水のようにニュースが報じられています。しかしこうなってくると、何を信じていいものかと困ってしまいます。
そもそも企業とはなんでしょうか。いろいろな表現のしかたがありますが、「企業の理念や目標を具現化する組織」などという把握もそのひとつです。企業理念とは、その企業の特に社長の志や思いを表現したものと言えるようです。ただしそれが企業や経営者個人のみの利益達成に限られたものであれば、当然その会社は存続できないことになります。営利企業の場合、顧客の支持を得られなければ企業活動そのものができないからです。
お客様であるU社様はパンや洋菓子の製造販売を手がける会社ですが、経営者の皆さんの共通の思いは「体にやさしい美味しいパンやお菓子を、できるだけ安価な価格で多くの人に食べてもらいたい。そしてパンの食文化を広めたい」というものです。実際U社さんのパンは他店と比較しても安価な感じがしますし、毎日驚くほどたくさんのお客さんが買い求められています。
経営者の思いを実現するためにはしかし、かなり厳しい現実と闘わねばなりません。体にやさしい食材はどこからどうやって仕入れるのか?安価を実現するためにはどのコストを削減するのが必要なのか?毎日来店されるお客様に気持ちよく商品を口にしていただくには商品開発や製法吟味のほかにどんな付加価値をつけなければいけないのか?などきりがないぐらいです。
しかコストを落とすために賞味期限を偽造しようとか、売れ残りの食材を再利用しようなどとはしませんし、そんな発想のかけらも持ちません。それは当たり前のことで、ほとんどの食品製造会社では普通に守られている常識です。
ニュースで報道される事件を引き起こしている会社は、その他大勢の当たり前に経営されている会社にも多大な迷惑をかけていることを知るべきでしょう。
企業理念だけを見れは、どの会社で掲げられているものを見ても大変に立派なものばかりです。消費者をないがしろにするものなどもちろんありません。 しかし経営理念が常に会社で復唱され忠実に理解されているかといえば、単なる社長室の飾りとなってしまっているものも多いのが実情ではないでしょうか。
いわゆる経営戦略とか戦術といわれるものは、経営理念に基づく経営目標達成の手段として考えられ実行されるべきものです。ところがそれがかけ離れたものになっていることで、いろいろな不具合がでてくる可能性があるのですね。
大義は大事です。会社の憲法だからです。であればそれに沿った正しいことが行われる限り妙な問題は起こらないものでしょうがね。
こんな役所ならいいのに
神奈川県茅ヶ崎市役所の「職員接遇マニュアル」を全部読みましたが、とても素晴らしい内容でした。自治体として珍しいことではないのかもしれませんが、役所の仕事を「住民サービス業」と明確に打ち出しているところが素晴らしいと思いますし、32ページにわたる全般にその精神が徹底されているように見えます。
冒頭の「はじめに」という職員向けのマニュアル発行の目的を伝えるページに・・・ ・・・・(中略)・・・・ このマニュアルでは、私たち職員が市民の方々をはじめ、全ての方に対して“もてなす”という気持ちを持つために、接する全ての方を「お客様」と表現しています。 ・・・・(中略)・・・・ 私たち職員は、お客様を笑顔でお迎えし、お客様に笑顔で接します。そしてお客様に笑顔でお帰りいただき、その笑顔が家庭や地域に拡がっていく。「茅ヶ崎を笑顔あふれる街にしたい!」それが私たちの大きな目標です。 ・・・・(後略)・・・・
本文もいろいろな工夫がされています。イラストや表を多用し、身だしなみから挨拶・お辞儀・言葉遣い・苦情対応・電話応対などまで、かなり細かくかつ具体的な表現でまとめられています。これは一般企業でも十分に使える内容に感じます。
発行者を見ると、茅ヶ崎市総務部職員課となってます。いわゆるこの系統の書籍などを参考にしているのでしょうが、主観的で具体的にまとめられているのを見ると、編集に携わった方はなかなかの腕の持ち主のはず。私は茅ヶ崎市とは縁もゆかりもありませんが(サザンは好きなので悪いイメージはないですけどね)、その土地に大変な好感すら抱かせるものになるわけです。
お役所仕事に対するイメージはますます悪くなっている印象が強いのですが、こうした意識が根付けば頼りになる住民のよりどころになるに違いありません。もちろん、茅ヶ崎市役所の場合もマニュアルだけの掛け声に終わっていれば意味のない話ではありますけどね。
機会があれば是非茅ヶ崎市役所に立ち寄って、雰囲気を確認してみたいものです。
種の絶滅
生ある生命体は必ず死を迎えます。死がない生物っていうのは・・・やはりないですね。人間も長くて100年強といったところでしょうか、いずれ天寿を全うすることになるわけで、生まれた瞬間から死に向かって過ごすという表現をすると味気ないですが、いつか亡くなるのはあたりまえのことです。せっかくだから生きている間にできることを精一杯やろうと思うのは、ゴールがあることを皆知っているからにほかなりません。
ところで、種の絶滅になると少々訳が違います。跡形もなく消えてしまうことですから、個体ごとの存亡とはケタが違います。恐竜の絶滅についてのいろいろな説を読むと、実に不思議なミステリーに思えます。生物や科学にはとんと疎い私ですが、約6500万年前に絶滅されたとされる巨大(小型もありますが)生物がなぜ消えてしまったのか?とても興味深いものです。
最近世の中の目を覆いたくなるニュースを見るにつけ、もしかして人間も種の絶滅に向かって進んでいるんじゃなかろうか?などと妄想にふけることがあります。核事故とか、隕石衝突による環境激変だとか、突発的な想像を絶する理由で絶滅を迎えるということではなく、種の絶滅に向かって静かにしかし着々と足を向けている・・・って雰囲気です。恐竜も絶滅末期には共食い(殺し合い)や子殺しをはじめたという説があります。滅亡を予感して、不幸に直面する前に自滅を選んだということかもしれません。殺しあう、憎しみあう、傷つけあう、今の人間社会で普通に繰り返されている日常そのものです。まぁSF小説の読みすぎなのでしょうが。
ノアの箱舟が作られる前に、国際紛争も、地球環境保全もなんとかならないものかと思うこのごろ。しかしそのために一歩もすすまないとすれば、自分も破壊者であることに違いありませんね。はたして何ができるものなのでしょうね。
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