一般的に 「動機づけ」 とか 「やる気」 とされる“やる気を起こさせる心の動き”のことです。スランプに陥ったりしたとき 「モチベーションがあがらない!」 という発言者を見かけることがありますが、多くの場合単に自分の怠けものぶりを自分以外の何かに責任転嫁する言い訳として使われてるのではないでしょうか。
他人事ではありません。私などモノグサ&ナマケモノの典型ですから、何も考えず何も行動もせず、そして当然何事も起こらないことをぶつぶつ呟いたりしてることが多いのですが、何もしなければ成果が上がるはずはないのですから動機付けもへったくれもありません。
ところで、モチベーションは2つの要因で構成されているのだといいます。ひとつは、人の内部、心にあって行動を引き起こす 「動因」 (ドライブ) とよばれるもの。そしてもうひとつは、 「誘因」 (インセンティブ) とされるもので、これは人の外部にあり、この要因により人の行動は誘発されるとされています。
動因についてはマズローの欲求5段階説が有名です。 生理的欲求が満たされると → 安全の欲求が生まれ → 安全の欲求が満たされると → 所属の欲求が生まれ → 所属の欲求が満たされると → 自尊の欲求が生まれ → 自尊の欲求が満たされると → 自己実現の欲求が生まれる という説です。
マズローは欲求の内容をピラミッドのように配置し、下層の欲求が満たされると上層の欲求が生じるとしました。そして、下層の欲求が満たされない状態では上層の欲求が生じることはない、と主張しています。そして誰であっても自己実現の欲求が生まれれば、自発的に能動的に行動を起こしやすくなるというわけです。
しかしこの動因がエンジンだとすると、ガソリンがなければそのエンジンも動くことがありません。そしてガソリンに相当する外部からかかる力を誘因といいます。
たとえば昼時になって空腹感を感じたとします。 「なにか食べたいなぁ」 と思いながら歩いていると、食堂の前で美味しそうな日替わり定食のサンプルを見たら、思わずそのお店に入って注文してしまいました。・・・というときの、サンプルなどが誘因といわれるものです。
つまり能動的に前進するためには、自分の心の中の自己実現欲求を持つことと、それを実現するための具体的な目標を見つけることがセットになったとき足を進めることができるというわけです。やる気はマンマンだけど何をどう取り組んでよいのかわからない、具体的な進み方の設計図は手にはいったけどいまいち気分がのらない・・・このような場合は結果がでないのは当たり前なのかもしれません。
ところで、外部から報酬等を与えて、モチベーションを向上させようとする手法を 「外発的動機づけ」とよんでいます。目標を達成すれば昇進・昇格させる人事制度や、成果主義に基づく人事制度・賃金制度は、この外発的動機づけの代表例ですね。これに対して社員が自らの意思で主体的に目標を立て、目的に向かって行動を起こさせるようにする動機づけは 「内発的動機づけ」 と呼ばれています。
外発的動機づけは、「誘因」によって行動を起こさせるものであり、内発的動機づけは「動因」により、モチベーションアップを目指すものです。ところが、この組み合わせを間違えるとモチベーションをあげるどころか引き下げてしまうこともあるのです。
・・・長くなりましたので、この続きはまたいずれ。
辞書を引いてみると、こんなふうに書いてあります。 【1】人間に関する事柄。 【2】人としてなしうる事柄。人としてすべき事柄。 →「人事を尽くして天命を待つ」 【3】個人の地位・職務・能力などに関する事柄。 →「人事考課」 【4】人事異動の略。 →「新しい人事が発表になる」 【5】人間社会における出来事。俳句の分類では、天文・地理・動植物以外の題材のこと。 【6】人としての知覚や感覚。意識。 ふ~ん、このように並べてみるとたしかにいろいろな意味がありますね。
先週はお客さまであるⅠ社さんとU社さんで、社員の皆さんの人事評価のお手伝いをしました。上記の3にあたる部分の仕事です。ちょうど夏期賞与の支給時期となりますので、社員の皆さんの能力とか業績などの評価をする会社は多いものです。
ところで「人事評価」または「人事考課」とは、何をどのように判断するべきものなのでしょうか? ・・・・・もちろん、会社によって業種も業態も違いますし、会社の目標や方針がまるで違うわけですから正しいとか誤りなどと言うべき問題ではないはずです。例えば同じ野球選手であっても、社会人チームとプロチームでは判断基準がまるで違うのがあたりまえです。
人事評価に関する本を何冊か読んでみると、筆者によって行ってることが真逆のものをたくさん見ることができます。そもそも、こうすべきだとかこうあるべきだと言う方が間違っているように思えて、読みながらストレスを感じたりもします。
私が最近思っているのは、人事評価は「人」の評価と「事」の評価のミックスなのだということと、判断基準は明確に明示して全社員に開示することが大切だということです。また5年前に練りに練って作った評価制度だから堅持しようなどとは考えるべきではないということも思います。時代が変わり、経営環境や顧客志向がかわれば、社員を含めた会社も変化するのが自然で、当然のことだと考えるからです。
かといって評価基準がひんぱんに変わるのも問題です。評価基準は社員の皆さんにとってはひとつの羅針盤ですから、毎日それが変わったとしたらどうやって前に進んでいいかわからなくなってしまいます。
「人」とは個々人が持つ顕在能力や潜在能力、人間力、意思疎通力、学習能力や発想力などを指すのでしょうか。また「事」では個々人の果たした業績貢献、技術や技能の向上、提案や変革の事実などを見るものでしょうか。人と事にそれぞれどのぐらいの比重を置くかは、会社ごとに決めるべきことで理想的な按分なんてないと思われます。
人事評価でやっかいなのは、基準を設けることよりも基準に照らして個々人はどのレベルにあるのかを客観的に判断することのほうかもしれません。定量的に量れるものなら問題ないのですが、ほとんどは評価者が客観的な視点をもちながらも主観で決めざるを得ないからです。余計な先入観が抜けなかったり、評価の高い誰かとつい比較をしてしまったり、あるいは評価者自身の感情の変化で評価が公平でなくなってしまったり・・・。
評価一つで大きく伸びる社員もいれば、大いにモチベーションを下げてしまう社員もでてくるはずです。評価基準を設けるのもやっかいですが、それを正しく判定するのは人間の手によるものだけにさらにやっかいなものです。せっかく全体の評価結果がまとまっても、全体を見なおすと「あれっ?」と思うことがたくさん見つかったりすることも多々あります。
社員が3000人ほどの社長さんが、「正しい人事評価なんてできっこない」「人間がやる限り常に誤りだらけだ」とおっしゃたのを、なんて無責任な・・・と昔思ったことがありましたが、もしかして真剣に深堀りするほどにそんな感想を持つようになるのかもしれません。
人事されど人事です。なんどやっても難しいものは難しいのです。