Satoブログ

危険運転致死傷罪

昨日の福岡地裁の判決で議論の分かれる結果が出されました。一般的な感情としてはもっと重い罪でよいのだと思いますし、法律の解釈としては間違っていないとの意見もあるようです。たしかに法律の適用では適切な判断だったのかもしれませんが、それでは法律っていったい何のためにあるのだ?という素朴な疑問もわいてきます。

裁判官の使命は、現行法律に照らして犯罪の量刑を決めるわけですから、昨日の判決をした裁判官が悪いとはいえないように思います。問題なのは法律を作った側にあるのではないでしょうか?酒酔い運転の悲劇は今回に始まったことではありません。ずっと前からたびたび繰り返されてきたものを、それに対する社会の憤りを繁栄して厳罰に処すべしという改正がなされたはずです。

しかし現実にその基準によって示された判決に多くの人が疑問を思うのなら、その基準自体に問題があるのだと思わざるをえません。

商法上問題はない・・・、政治資金規正法上問題はありません・・・。疑惑が起こるたびによく耳に知るセリフです。ある基準を作って、それに抵触しないからシロだ!という理屈です。決してクロにもグレーにもなりません。しかしその基準を作っているのが自分だとしたらこんな滑稽な話もありません。

法律だけではないかもしれませんね。行動基準を判断するための指標を一度決めたら、風が吹こうが嵐が来ようがそれは守り通す!という考えはいかがなものでしょう?もちろん不変の基準もたくさんあります。しかし環境や自分の変化があれば当然多くの基準は一緒に変わっていかなければならないはずです。

お客様であるⅠ社様では、会社の進路を明らかにするための経営理念・経営目標・経営方針を見直そうと決められ、副社長を中心にかなり深く深く熟慮されました。たぶんお正月もお酒気分にはなれないほど没頭されていたはずです。そしてついに今日役員会で最終合意をされたとのお知らせをいただきました。

これまでのものとはまるで違う表現になりましたが、ここ数年で売上げも利益も従業員数も大きく増えて成長したので、会社としての志や目標は変化して当たり前なのだと思います。私が拝見しても素晴らしいものになっています。

今回は、そもそも企業理念ってなに?という根本のところの見直しから入りましたので、単なる標語ではなく毎日の業務遂行指針になっているとことが素晴らしいですし、経営が信念を持って語れるところに価値があります。

法律とかルールはなんのためにあるのか? 適不適を議論することももちろん大事なのですが、その法律やルールがいまの要求に合っているのかどうかを即時に判断して、修正が必要であれば基準そものもを変更してしまう! ・・・すごく大事なことだと感じました。

カテゴリ : 
佐藤雑感| 経営系

08年01月09日更新

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